「オーソドックス」とは「オリジナル」とは
「下絵屋」なんてのはこの地域のこの業界では近年耳にしないというより筆者の知る範囲では聞いたことがない。
名門の縫師さんのインタビューなんかでは「明治時代に京都の日本一の下絵師が描いたという謂れがある…」なんてのもあるが本業は絵画作品でこっち(瀬戸内地域)の刺繍幕の下絵なんてのは合間での仕事に過ぎなかったように思う。(祇園祭や関西方面の山車に使用される刺繍幕ではかの有名な円山応挙であったりする名のある絵師の作品をモチ
ーフに作られている名作が多い。)
前述の"下絵師"という表現は"絵師"の誤りだったのでは?も考えられる
話は少し逸れたがやはり明治~昭和初期にかけてはちょうさ~新居浜型の太鼓台にしても図柄の豊富さというのは素晴らしいものがある。
それが昭和後期から平成初期にかけては図柄の使い回し(これは明治期の飾り幕制作においてもいえる場面はあるがもう少し工夫があったというかなんというか)が多く似たようなフォルムの太鼓台が一気に増えた。
その中で平成10年代に入り金鱗を代表に数多くの精鋭縫師の登場により飾り幕の図柄、制作手法のバリエーションは一気に増加し太鼓台の飾り幕文化のレベルというのは一気に上がった。
特にここ数年は新居浜~西条地域において新調した、新調を控えている太鼓台というのは多く「先代、先々代のオマージュ作品」であったり「新規図柄を使用したこれまでのイメージを一新する作品」などコンセプトもその地区によって様々だ。
その中で特に重要になってくるのは「下絵」だと筆者は考える。
新居浜型の太鼓台に多く見られる「巻尾タイプ」の蒲団締めの図柄。
巻尾とひとくちに言っても大正、昭和初期にかけての帯が見える程度の胴の細さのものから旧中筋、角野新田などに見られるボリューム感溢れる、所謂「山下タイプ」の蒲団締め、高木タイプ、近年では立体的に施された金鱗タイプなど様々なものが見られる。
今回掲載している巻尾タイプの下絵にこれといったモデルはない。筆者が思う新居浜の巻尾タイプの平均値を絵に起こしたというところか、「オーソドックス」な蒲団締めの下絵である。
これは筆者が「龍」とはどういうものか。という考えを前面に押し出したものを蒲団締めに表現したものである。こちらは「オリジナル」を強調して描いた。夜勤前に眠た眠たの中、急ピッチで描きあげたので粗悪な仕上がりなのは許して欲しい。
1枚目の画像と見比べて複雑な動き、鱗の枚数や細さは明らかに2枚目の方が勝っている。しかし時間がかかったのは1枚目である。「オーソドックス」な方が倍以上の時間をかけて描いている。
そんなのどうでもええわと言われてしまえばそれで終わりだがこれには理由があり、1枚目の絵のコンセプトが「一般的な新居浜型の蒲団締め」であり客観的な価値観を重要視している。自分だったらこうする、この方が格好いいなどという考えは極力抑えて描き上げたので実際にそうかは分からないが既視感の強いものに仕上げたつもりだ。
しかしこの2枚、コンセプトが真逆な為に描く上で大変な苦労があった。
「オーソドックス」の方はモデルが無い為にアウトラインは普遍的な線を意識しても細かい部分は自分の手癖がどうしても出てしまう。「こんな動きの指の締めはあったかなぁ」とか「山下八郎の締めはもっと図太い!」など考えながら描いていた。
逆に「オリジナル」の締めの方は「この動きどっかで見たことあるよなぁ」とか「既視感」のある動きに対してアレルギー反応が出てしまう。
ただ一応は完成した後に見比べてみると作品の善し悪しは別としてテーマに沿った雰囲気は各々出ていると感じる。
これは後々、本サイトに掲載される十余種類の「下絵見本」のうちの二種類として掲載するつもりである。(さすがに質が悪くて見本に掲載しても誰も頼もうと思わないと思うので顔つきや細かいところは手直しするが…)
なんせ絵を描くことは難しい!多くの縫師が筆を置いて同じ図柄で縫うのに徹するのがよくわかる。
そのためにやっぱり下絵描きは必要!!
おやすみなさい!!!
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